解がいくつもある問題 (69) 2014.09.29 経営戦略、院長思考論 論理的な英語の書き方 私は20歳代のとき、アメリカのビジネススクールに留学しました。当初、英語力に不安もあり、入学前には英語学校に数カ月通い、さらにビジネススクールに入学後も英語力アップのためのクラスを受講していました。日本と同様に、カリキュラムには文法や構文がありましたが、もう一つ、特に役に立ったクラスがありました。それは論文の書き方を教えるものでした。大学を卒業するまでも、卒論を含めて論文のようなものは書いていました。しかし、論文の書き方を徹底的に教わった機会も授業もありませんでした。そのクラスでは「断定表現を使う」「修飾語は被修飾語に近づけろ」などの基本としての知識も吸収しましたが、中でも文章の構成については繰り返し教えられました。例えば、「A+BはCだ。CなぜならばA+Bだから」という帰納法や演繹法を意識して使うこともその一つです。日本語は母国語でもあるせいかもしれませんが、意識せず曖昧な表現構成で書き進めてしまいます。日本語とはいえ、論文ではNGになるにはなるのですが、多言語よりも許容されてしまいがちです。いずれにしても、英語論文の書き方や構成、細かいルールまで、すべてのアプローチがとても論理的で合理的なのです。 ビジネススクールでのクラスだからといって、特別高度なことを教えているわけではありません。現地の人に聞けば、小学校の頃からやっているというのです。日本の小学校でも作文は書かせられます。しかし、作文の方法について体系的に教わった記憶はありません。私の小学生の娘の教科書を開いても、そのような内容は見当たらないので、今でもカリキュラムにはないようです。よく、欧米人は合理的な考え方をするという話を耳にします。このような子供の頃からの教育の影響と考えれば当然なのかもしれません。 イギリス式の算数問題 以前CMでも流れていたので、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、イギリスの算数の問題は日本のそれとは趣向が異なります。例えば、日本の算数ドリルには、「3+5=□」です。一方、イギリスでは「□□□=8」となります。 日本式では結果を求めます。結果である解は、誰がやっても同じもので一つです。公式やパターンを暗記すれば解けます。これに対し、イギリス式は日本とは真逆で、結果が先に与えられています。それを導くための式を考える問題になっているのです。そうなると解も一つではなくなります。したがって、公式などを暗記するだけではなく、「発想力」と式を組み立てる「構築力」が必要となってくるのです。よく、日本と欧米の教育の方式を比較する際に、「日本は画一的」で「欧米は個性重視」だといわれます。日本の親は他の子供と同じであることに安心する傾向があり、欧米では人と違っても気にせず個性を尊重する傾向にあるというところで、教育にも反映されているのではないでしょうか。 日本の画一的な教育方式が「輪」を尊重する文化になっているとも思えるわけで、日本式が悪くて、欧米式がよいと言っているのではありません。とはいえ、社会に出てみると欧米式の教育が生きてくる場面も増えてきます。学校の勉強は、社会人になってからは一切役に立たないという人も少なくありません。その原因は、この日本式の算数の問題の出し方にあると思えてなりません。仕事上で「3+5」の答えは何ですかというような業務の与えられ方は、単純労働以外ではほとんどありません。与えられた(もしくは自分で設定した)成果を得るためのプロセスを組み立て、それを実行するという仕事が多いはずです。単純な例えですが、医師も病気を治すという答えを導き出すために治療を行います。つまり、「□□□=完治」という問題を解く仕事なのです。学歴は申し分ないものの、なかなか成果が出せないというスタッフがいる場合には、まずイギリス式ドリルを人材教育の一環に組み入れてみてはいかがでしょうか。 株式会社ニューハンプシャーMC 代表取締役・上席コンサルタント 柴田雄一
論理的な英語の書き方
イギリス式の算数問題
代表取締役・上席コンサルタント 柴田雄一